AI時代、何を学ぶべきか 暦本純一・落合陽一・玉城絵美──3人の研究者の言葉から考える
建築構造の視点から見る、情報空間における「力の流れ」と「身体性」
本稿は、2026年初頭に行われた東京大学・暦本純一教授の最終講義をきっかけに、現代の情報科学を牽引する3人の研究者(暦本純一、落合陽一、玉城絵美)の発言を手がかりに、AI時代における学びと働き方について考えるものである。筆者の専門である建築構造工学(CLTやハイブリッド構造設計など)の視点を補助線として用い、知識の蓄積から環境設計、そして身体的な経験への還流という流れを、ひとつの構造として整理してみたい。AIの操作方法そのものよりも、自分の関心を起点にどう物事を組み立てていくか、という点に焦点を当てる。
序論
2026年春、東京大学本郷キャンパス。情報学環・暦本純一教授の最終講義に集まった人々の間で交わされていた話題は、一人の研究者の功績を振り返るだけのものではなかったように思う。そこにあったのは、生成AIや自律型エージェントが日常に組み込まれつつある今、「人間はどのように自分を位置づけ、何を学んでいくべきか」という、多くの人が漠然と抱えている問いだった。
私は長年、建築構造工学の分野で、重力や地震力といった避けられない外力に対してどのようなフレームを設計するか、技術とは何かを考えてきた。一見すると、ビットの世界を扱う情報科学と、コンクリートや鉄、CLT(直交集成板)のような質量を扱う建築構造は、対極にあるように見えるかもしれない。しかし両者を並べてみると、いくつか共通する考え方が見えてくる。重力に抗って建物を成り立たせるための力の流れの設計と、膨大な情報の中で自分の思考を保つためのアーキテクチャ設計には、通じるところがあるように思う。
本稿では、情報科学を率いる3人の研究者──暦本純一、落合陽一、玉城絵美──の発言を、建築構造の考え方と重ね合わせながら、AI時代の学び方について考えていきたい。
第1の教訓:暦本純一「まず飛び込め」── 試行を重ねるという基礎
AIが普及した現代でも、教育やスキル習得をめぐる議論の多くは、昔ながらの考え方にとどまっている。「基礎を固めてから応用に進むべきだ」「アルゴリズムを理解してから実装すべきだ」といった、積み上げ型の学習観である。これに対して暦本純一氏が示すのは、ある意味で逆向きのアプローチだ。「まずゴールを決め、必要になってから学ぶ。まず打席に立つ」という考え方である。
これは従来の教育観からすると、やや乱暴な近道に見えるかもしれない。しかし、AIという「知識をすぐ外部化できる手段」を手にした今、知識を事前に頭の中に蓄えておく必要性は、以前より小さくなっている。かつては専門知識の量そのものが参入障壁として機能していたが、その障壁は下がりつつある。結果として、何かに挑戦する際のリスクは、「知識が足りないこと」よりも、「行動を先延ばしにすること」「そもそも打席に立たないこと」の方に重心が移っているように見える。
建築構造の視点から見たアナロジー①:計算による予測と、実験による検証
建築の構造設計では、構造計算によって地震や風に対する建物の挙動をあらかじめ予測する。これは理論やこれまでの実績にもとづいた、十分に確立された手続きであり、「理論抜きにまず建てる」というものではない。一方で、CLTのような比較的新しい材料や、異種の材料を組み合わせるハイブリッド構造の領域では、接合部の局所的な応力集中や、木材の異方性による複雑な変形挙動を、計算モデルだけで完全に再現するのは難しい場合がある。そのため、要素実験や接合部実験を通じて計算モデルを検証し、必要に応じて補正する、という作業が並行して行われる。
つまり実態に近いのは、「理論を学んでから建てる」でも「建ててから理論を学ぶ」でもなく、計算による予測と実験による検証を往復しながら、モデルの精度を上げていくプロセスだ。理論と実践は別々の二段階ではなく、互いにフィードバックし合う関係にある。
情報空間における学びも、近い構造を持っているように思う。数式やプログラミングの文法を完全に覚えてから何かを作ろうとすると、作り終える前にAI自体が更新され、前提が変わってしまうことが起こりうる。AI時代の学び方として有効なのは、知識を先にすべて揃えることよりも、小さく試して、結果を見て、また試すというサイクルを回す回数だと思う。暦本氏の「まず飛び込め」という言葉は、精神論というより、こうした往復のサイクルを早く回し始めるための、実務的な提案として読める。
第2の教訓:落合陽一「命令するな、環境を設計せよ」── 力の流れをどう整えるか
落合陽一氏は、AIと人間の関係を語るときに「発酵」という比喩を使うことがある。酒造りにおいて、杜氏は自分の手でアルコール分子を合成しているわけではない。杜氏が行うのは、温度や湿度、糖度など、酵母が働きやすい環境を整えることである。実際にアウトプットを生み出すのは、酵母という自律的なプロセスの方だ。
この見方は、「人間が細かい命令を書き、計算機がそれに従う」という、従来型のプログラミングの主従関係とは少し異なる。大規模言語モデルや、ある程度自律的に動くAIが当たり前になりつつある中で、エンジニアやクリエイターの役割は、細かいプロンプトの調整だけにとどまらない。AIの能力が引き出されやすいように、目的に向かって動きやすい環境を、より上位のレイヤーで設計すること──つまりシステムやアーキテクチャの設計が、これまで以上に重要になってきている。
建築構造の視点から見たアナロジー②:力の流れ(荷重経路)をコントロールする
この「環境を整える」という発想は、構造設計の考え方と近いところがある。構造設計者は、地震や強風による力を制御する。外力は物理法則に従って、必ず建物に入ってくる。設計者にできるのは、柱や梁の配置を工夫し、接合部の剛性を調整することで、その力を無理なく基礎まで受け流す「荷重経路(ロードパス)」を整えることだ。力が流れやすい道筋を、構造設計しておく。落合氏の言う「環境の設計」は、情報空間における、これに近い発想だと捉えられる。
これから重要になるのは、「正解を覚えている人」でも、「細かい指示書を書ける人」でもなく、複雑な条件が絡み合う中で、AIが力を発揮しやすい「良い問い」を立て、それを受け止める構造を作れる人材だと思う。
第3の教訓:玉城絵美「人間を忘れるな」── 身体性という素材
暦本氏が速度の話をし、落合氏が環境の話をする中で、玉城絵美氏の視点は少し異なる位置にある。彼女が一貫して扱っているのは、情報空間の中で見落とされがちな「身体」だからだ。彼女が提唱する「BodySharing(身体共有)」は、視覚や聴覚といった情報の送受信にとどまらず、固有感覚や筋肉の電気刺激、触覚といった体験そのものを、ネットワークを介して共有しようとする試みである。
AIが生成するテキストや画像の質が上がり、量も増えていくと、情報そのものの希少さは相対的に下がっていく。そうした状況で、最後まで代替されにくいものとして残るのが、人間の身体性と、それに結びついた体験だと思う。どれほど精緻な計算ができるAIでも、自分の身体を持って驚いたり、痛みに耐えたり、その場の空気を感じたりすることはできない。AIは情報としての「意味」は扱えても、それを身体で受け止める、ということは難しい。
建築構造の視点から見たアナロジー③:素材としての木材と、身体感覚
構造工学では、3次元CADや構造解析の技術がどれだけ進んでも、最終的にできあがる建築は「物質」として存在する。ハイブリッド構造で木材(CLTなど)を選ぶ理由は、炭素固定量や強度重量比といった数値だけではない。実際にその空間に入ったときに感じる、木の手触りや調湿性、音の響き方、香りといったものが、住む人の体験を左右するからだ。シミュレーション上の数値と、身体で感じる空間の心地よさの間には、デジタルだけでは埋めきれない部分がある。玉城氏の指摘は、技術の目的がどこにあるかを、物質や身体の側から確認させてくれるものだと思う。
技術はあくまで手段であり、目的は人間の体験の側にある。この前提を見失うと、いくら理屈の上で整っていても、実際には機能しない議論になりかねない。
構造の統合:3人の研究者を一つのマトリクスとして見る
3人の視点は、それぞれ別の方向を向いているように見えるが、並べてみると一つの構造として整理できるように思う。
研究者 中心にある問い 建築構造における近い概念 AI時代の学び方 暦本純一 何から始めるか 計算と実験を往復しながら精度を上げる まず試してみる(試行回数を増やす) 落合陽一 どう作るか 荷重経路の設計・環境の調整 環境を設計する(AIが力を発揮しやすい枠組みを作る) 玉城絵美 誰のためか 素材としての身体感覚・居住性 人間の体験を起点に置く。
この3つは独立しているわけではなく、ひとつの循環として捉えられる。暦本氏の言う「まず試す」ことで得られた気づきは、落合氏の言う「環境の設計」によって形になり、最終的に玉城氏の言う「身体的な体験」へとつながっていく。この循環を回し続けることが、AIに置き換えられにくい人間の営みなのではないかと思う。
結論:AI時代に求められる視点
最後に、これから市場価値を失っていきやすい人材について、私なりの見方を書いておきたい。それは「知識を持っている人」というよりも、「知識しか持っていない人」だと思う。構造計算の数式を覚えているだけのエンジニアが時代とともに役割を変えていったように、既存の枠組みをなぞるだけの知識労働は、AIに代替されやすい部分から置き換わっていくだろう。
人間に残る要素として、次の4つを挙げておきたい。
好奇心:何もないところに、最初の一歩を踏み出すための動機
問題意識:今のやり方に疑問を持ち、新しい問いを立てる力
美意識:数値的な合理性だけでは測れない、心地よさを見極める感覚
体験への感受性:言葉にしにくい身体的な感覚を大事にし、それを他者と共有しようとする姿勢
これらは、どれだけ大きなAIのモデルであっても、自然に持ち得るものではないと思う。それは、限られた時間と身体を持っているという、人間の制約と表裏一体だからだ。
暦本氏は「飛び込め」と言い、落合氏は「環境を設計せよ」と言い、玉城氏は「体験を忘れるな」と言う。この3つを重ねてみると、進むべき方向は意外とシンプルなのかもしれない。自分の関心に従ってまず動いてみること、AIが力を発揮しやすい枠組みを作ること、そしてそこで得られたものを、自分の身体的な経験に結びつけていくこと。この循環を意識することが、AIという技術とどう付き合っていくかを考える、ひとつの手がかりになるのではないかと思う。



